迷走かあちゃんの日記

2012年に33歳で男女の双子を出産。育てる毎日に追われ迷走中。育児の事、夫の事、仕事の事、世の中の事、お金の事、自分の事etc…尽きる事のない独り言を綴っている日記です。

いじめの心の弱さ

娘を取り巻く交友関係・自分の職場の人間模様・年末。などの理由からモヤーっとしています。

外での人間関係において子供たちも自分も一生関わり方を学び続けるであろう「苦手な相手」。

子供たちの学校生活でも特に女子は口喧嘩は日常茶飯事だし一番好きなお友達も日替わりな時期もある(笑)。

お互いに、無視することはないが適当に距離を取ればいいし、気に食わないからといって周りを操作してターゲットをやっつけたがる人がどこにでもよくいるが内心(何か大事なものが欠落してるんだな)という具合に残念に感じる。

自分の経験でいえば小学一年生の時には「私が大将」みたいなタイプの女子がふたり、近所に被って存在していて自分より目立つ人やカワイイ人など許さない!みたいなところがあって、なぜかふたりが私のことを「どっちの子分か」(笑)競っていたのですごーく面倒くさいと思い、ふたりともお断りしてグループ行動自体を避けた。←意思が強いのは結構だが、友達いない子である。(笑)

中学3年の時には前述の女子ふたりは、一人は親の転勤でどこか遠くへお引越し。一人は再び私のそばに…。その彼女をここでは〈大将〉と呼ぼう。毎日のように下校の際に長時間足を止められ性格についてお説教をされた。私からわざわざ近づかないので、今にして思えば、よっぽど子分にしたかったのか、よっぽど好きだったのか、なんだったのか。
彼女の言うことは大人顔負け…いや…大人以上に大人みたいなお説教が多く、難しいことはあっても、意味不明なことはなかった。言いたいことはいつも最終的には理解できた。
要は、性格や行動の欠点を直さないと将来自分が困るということだった。
声が小さいとか、
行動がトロいとか、
暗そうに見えるとか、
返事が反抗的だとか、
空気読んで発言しろとか、
上辺だけじゃなく心から素直な気持ちになって素直な目つき顔つきで返事をしろとか、
素直な顔の練習をさせられたりとか、(笑)
猫背で気持ち悪いとか、
話しているとだんだん顔が近くなって気持ち悪いとか、
論破されすぎて嫌になって泣いたら「それでいいんだよ!涙が出てるって事は素直になれた証拠だよ!」とすごく優しくされたりとか、

(笑)

それらを、たしかに、良い例と悪い例を並べて比較すると、すべて直した方が絶対プラスなのだろう。

おかげさまで改善されたところはある。
しかし彼女とは高校入学を機にこちらからきっぱり縁を切った。
〈大将〉はあの手この手で論破して、貧乏な我が家で私が新聞配達をして稼いだお金を横取りしようと必死だったので、それを見ていて「この先関わり続けた場合の危険性」を感じたからである。
ある時は父が病気(事実)でお金がないから頂戴。とか、
ある時は早朝一緒について来て(頼んでない。)配達の仕事にもついて来て(仕事はしてない)「だからお金半分くれなきゃおかしい事だよ?!」と責めてきたりとか、
ある時はブラジャーを盗まれた。結局返してくれなかった。とか、
まぁ色々あった。

「今後いっさい関わらない」と告げると逆上し得意の頭脳を使って学年全員に指示を出したのか翌朝突如「全員からシカト」を食らったが、事の流れが見え透いていてわかり易かったので、
(ああ、そういうことか、迷惑なことするもんだな。)
と、周りの迷惑の方がすぐに頭をよぎった。
別にどうでもいいことに加勢しないと自分が目をつけられてしまう危機に突如巻き込まれたのだから。

事の流れを悟った私はすぐに一番仲良しだった友達にこっそりメモを渡した。
「私への全員シカトが始まった。
お願いがある!
巻き込みたくないからみんなのほとぼりが覚めるまで知らん顔してシカトしてるフリして!
あまり酷くなるようなら自分で決着つけるから、とりあえず知らん顔で!!
で、またそのうち今まで通り仲良くしたい!
何十人が私を無視しようがその人らに罪はない。
敵はアイツひとり。」と。

その友達は特に感情的にもならず、
「大丈夫…?でも普通に話しかけちゃったらゴメンネ。」と笑っていた。

数日後、操られ監視されてる面々が疲れたような顔をしてるし、私もシカト中なの忘れて、習慣で「オハヨー!」とか軽く声を出してしまってから(あ!)ってなったりとかで、なんというか、異様というか、その状況に僅か数日のうちに、〈大将〉の身勝手に対する怒りがこみ上げてきた。そんな朝。

ガラガラ!
〈大将〉のクラスのドアを開けて、大勢の中で〈大将〉めがけてまっしぐらに近づいた。

「あのさあ!」

「迷惑だから辞めてくれない?シカト作戦」

「別にあんたの指図で私に挨拶ひとつできなくなったみんなを悪くは思わないからね。それよりもあんたの力に怯えて言うこと聞かざるをえないで過ごす人たちって本当にあんたの事好きかねえ。好きでいられるかねえ。みんな言うこと聞いてくれると思ったら実はみんなあんたに迷惑してるかもよ?知らないけど。」

「ハッキリ言って、あんたの指図で誰とも気軽に喋れないからってこっちは屁でもないんだわ。もっと言うか?!!」




シーン。。。。






気の強い私は
(ここまで言わせるオメーが悪い)ぐらいにしか思わなかった。
でも改めて自分は本当に怒ると怖い人かもと思った。

それ以来、校内は何事もなかったかのような空気になった。

〈大将〉とクラスが違ったのもあって、自分のクラスでは仲良しの友達とワイワイ楽しく卒業までの僅かな月日を過ごしていった。

その頃からの親友が2人いる。
3人とも今住んでいる土地はバラバラだが思春期に信頼関係が出来た一生の友達だ。


これまでいくつか職場を経験してきて思うのが、〈大将〉みたいなのを抑えたりコントロールできる上司がいる場所といない場所の違い。

札幌で私の事を沢山叱りながら育ててくれた職場には、カッコいい社長、部長、女マネージャーが勢揃いだった。年の近い先輩方の人柄も心から尊敬できた。バイトの人間関係で、「肝心なお客様や仲間へ対するホスピタリティや一体感」をぶち壊す子が出てきたら見逃す事など一度もなかった。私もやる気有り余って興奮した時に言葉がキツくなったり、考えが身の丈に合わず上から目線になってしまい履き違えていることに気づいてない時などには上司から
「ちょっと性格悪いね」とストレートに言われ撃沈した時もある。

今の職場ではプラスの刺激よりも、残念な風景を見ることの方が多く戸惑う。
〈大将〉みたいな人の好き嫌いに顔色伺う事の方がお客様より大事になっちゃってるんじゃないかなー…と客観的に感じる。
人を率いる力のある人が、組織において、その組織の一番大切な目的に向かうとは限らない。
足並みを揃えるのは大切だが、誰かの意図で誰かのただの保身のために揃えている足並みだと、大きな戦力がおかしな方向にまとまってしまう。

感性のアンテナがそういう動きを察知しても、自分の仕事が一人前じゃないと言いたいことも言えない。
完璧な人じゃなきゃ何も言ってはいけないわけではないけど、一生懸命なつもりでも、度々できていない事の方が多い人間が「ちゃんとやりましょう!」と言っても「えー?!あなたもできてない!」と反感を買う方が先。

おかしいな。と思うことにおかしいよそれは。と言うには黙って腕を磨かないと。
厳しい世界だ。職場。上下関係。

「許せないんだよね、あの子!」と一部の主婦の間で言われている若い子のことが耳に入っていて、目の前で本当に必要以上に嫌な態度をぶつけられているのを見てしまったりすると(そんな態度ぶつけておいて、でもまた何も言わずに陰に怒りを持ち帰って、愚痴で盛り上がっちゃうんだね…)と思う。
聞こえてくる愚痴はこうだ。
「何回言っても無駄なんだよねえ〜。」
「もう私無理。疲れた。」
「だいたいやる気ありますか?って思っちゃう。」
「何が悪いか全然わかってない気がする。」
「こっちが我慢するしかないのかな〜」
「なんて私もできてないかもしれないけど!←〇〇さんは良いんだよ〜!」
「店長のお気に入りなだけで本当仕事できないよね!」
などなどなど。。。

私は愚痴に対するノリが悪い方だと思う。
正直過ぎるので、そう思ってるか思ってないか本音がたぶん顔に書いてあるのだ。(笑)
もちろん本当に不満があって悩んだり発散することはある。
が、弱い者いじめみたいなマネが嫌いだ。
なので内心反発してあえていじめられた子には笑顔いっぱいで挨拶したり仕事で一つでも連携して帰ってくる。

私がこういう人間だから足並み揃わなくて嫌われる事もある。子供たち、とりわけ娘はなんだか似てしまう気がして心配。

性格や行動には直すのが好ましい「欠点」と、個性としてそのまま認めて付き合っても支障ないけど克服したいなと思う「弱点」があるなと思う。

合わない者同士が出会ってしまって、その向き合い方に悩むことはあるだろうけど、距離を取るのか向き合うのか。向き合うんであればちゃんと向き合う。周りを自分の良いように操作して相手を攻撃することを賢い事だとは覚えてほしくない。場合によっては一つの悪に向かって周りと協力することはあると思うが、悪でもなんでもないものを自分勝手な感情で悪と決めて潰すことに夢中になるのは最低である。

いじめられやすい人はいるし理由もあるが、いじめの主導権を握るのが得意な人やすぐ他人を許せなくなる人こそ性格を直した方がいい。
その心の弱さと頭の良さは、心の弱点と頭の欠点だ。
いつしか一度や二度…いや、二度三度、我が子もいじめと関わるだろう。
昔に増してそれは陰険だったり緻密だったり乱暴だったりするかもしれない。

もし本当に苦しんだり苦しめてしまうような経験を迎えることがあったらその時は、
日頃の関わりや話し合い、親である私たち夫婦の背中が支えになれるか否かが発揮されるのだろう。
大変な真っ只中に突入している時には話してもらえないのだろう。話せないのだろう。
必死に本人の考えで行動するのだろう。

普通に誰しも通る思春期。
自分はいわゆる「普通」から外れる経験へ自ら進んで傷ついたし傷つけた。
でも自分らしく進む戦いだった。
自分の責任で行動して、嫌われたり叱られたりした時に何かしら答えを見つけてきたし本当の絆というものも少しずつ見えていった。

いくら頑張ったつもりでも、ひとりで成し遂げることができている事など何もない。
正直な選択の中で失っていってしまうものなど無数にある。
それにも関わらず自分と繋がり続けてくれる全てはありがたく大切な存在。

家族皆、世間の荒波に揉まれて帰ってくる家だ。
そして家を守る私自身も荒波に揉まれているのだ。
大掃除しないとーとは思うけど、できるだけでいいのだ。(←ホント自分に甘い)
お腹を満たせて、暖かくて、言いたいこと言えて、よく眠れれば(*´∀`*)

ねーっ?(←味方を求める言い方)
…と、思います。

♪毎度長いのをお読み下さりありがとうございます♪